気まぐれ日記 2015年4月

2015年3月はここ


4月1日(水)「厳しい年金生活・・・の風さん」
 当地では桜が満開だという情報が相次いでいる。しかし、しばらく天気はあまり好くなく、花見には行けないかもしれない。
 3月末までに片付けてしまいたかった仕事の多くが、新年度に持越しとなった。
 気分も体調もイマイチだったが、のろのろでもとにかくやり続ければ、1ミリでも前進するはず、と今日は頑張った。
 今日は、月末の埼玉での講演のための配布資料作成に、先ず取り組んだ。
 聴講者は和算に興味のある人が中心なので、そもそものテーマに決めた。つまり、私が「和算発展の導火線に火を付けた男」と呼んでいる吉田光由である。
 角倉研究会で出版を予定している書籍にも、私は吉田光由を取り上げ、その後の和算家へ与えた影響について執筆したので、まとまった話ができると思った。
 そんなことをしている間に、アメリカの学術誌から「昨年のTakebe Conferenceで発表した内容を投稿しませんか」というメールが飛び込んできた。
 実は、同様のメールを他の学術誌からも1月にもらっていて、研究発表ではなかったので学術論文にはまとめません、と断ったいきさつがあった。
 今回も同じ理由で断るつもりだが、二度目のオファーということもあり、念のため関孝和数学研究所の上野先生のご意見をうかがうためメールを送った。
 夕食後、これも昨日以前に終えたかった、新年度の年金生活の収支シミュレーションに取り組んだ。
 昨年の1月初めから、昨日つまり今年の3月末までの、我が家の家計の収支記録を整理して、お金の出入りを調べたのだ。ただし、私の作家活動は、別会計で整理してあるので、それは除外した。
 整理した記録から、昨年の4月から今年の3月末までの1年分の記録に注目し、新年度の収支を先ず大雑把に予想してみた。
 私は楽観的に考えていたのだが、現実は年金生活と作家生活をそれぞれ独立にできない、とんでもなく厳しいものだということが分かった。つまり、私の作家生活から相当の額を家計に入れないと、昨年並みの生活が送れないのだ。
 この結果を午前1時頃ワイフに報告に行ったのだが、私はすっかり落ち込んでしまった。

4月2日(木)「長女の心配と我が家の心配・・・の風さん」
 学術誌投稿の件について、上野先生の助言もあって森本先生にも相談し、やはり辞退することにしたが、角倉研究会で出版する書籍のために書いた原稿なら、応募できる可能性がある気がしてきた。実際に出版されたら、研究会の了解を得て、英語化し、投稿の準備をしたいと思った。
 今日は午後名古屋で長女と会うので、午前中に、児童文学の新しい企画書をある程度のところまで書き上げることにした。
 10日前から着々と準備を進めてきたので、あるテーマについて、データはかなり集まっていた。
 今日は仕上げとして、物語をそれらしく構成して企画書(案)を完成させた。すぐにメールで出版社へ送った。出版社の反応を確かめるには十分な内容のはずである。しかし、本当の計画としては、7月ごろ開催されると思う理科読シンポジウムまでにきちんとした企画書にして、複数の出版社の反応を見たいと思っている。楽しみだ。
 急いで昼食を摂り、キャメロンで途中の駅まで行って駐車し、電車に乗り換えて名古屋へ行った。
 今日は長女の再就職計画について2時間半意見交換した。社会人になって早8年、相当に苦労した長女は、長く勤められる会社に就職したいと考えているのだ。私も真剣に相談に乗った。そして、もしかすると、私が長女の再就職の力になれるかもしれないと思うようになった。
 夕食後、昨夜作成した新年度の年金生活の収支シミュレーションを元に、さらに詳細分析をした。その結果、生活破綻を招く重大な事実が明らかになった。午前3時頃にワイフと確認し合い、明日以降対策を練ることになった。
 将来のある長女の再就職は非常に重要な案件だが、我が家の脆弱な足元の対策も重要な案件だ。

4月3日(金)「収支の問題対策・・・の風さん」
 桜が満開なのに不安定な天候ぐ続いている。そのような中、今日は降水確率が低めなので、ワイフが実家に出かけて両親と花見をしてきた。
 親が高齢になってくると、子供は親孝行を色々と考える。かつて私もそうだったが、子供の頃からずっと気にしていたませた子だったので、親が本当に高齢になったとき、何もできない虚しさを感じていた。
 次女を駅まで送った後、私は一人で、思う存分仕事ができる環境にあったが、今日もイマイチ元気が出なかった。
 知的な仕事ができないので、力づくの仕事をやることにした。先ず、スキャナー読み取り忘れの名刺の処理に取り組んだ。昨年9月にもらった名刺がたくさん残っていた。それから、元の職場の人たちに次々にメールを送った。さらに、Journalへの辞退メールも送った。冒頭、Dearと名前の間にMr.を入れるのを忘れた。
 夕方、ワイフと次女が続けて帰宅した。
 午前零時過ぎから、これは義務なので、新年度の年金生活の収支の問題について、ワイフと対策を練った。
 二人とも真剣に考え議論した。その結果、7つの対策案が考えついた。ジタバタしても始まらないので、一つずつ実行可能性を確認しながら手を打って行くことにした。
 ふと時計を見たら、今夜も午前3時である。

4月4日(土)「気合が入らない1日・・・の風さん」
 どうも気分がパッとしない。当然だ。経済的な足元がグラグラになっているのだから。
 午前中、電話が鳴った。珍しいことだ。昨夜ネットで見積もり依頼をした火災保険会社からだった。うちの現契約が妥当な金額なのか確かめたかった、と正直に話したら、数社の見積もりを併記して1週間程度で郵送します、とのことだった。昨夜少し調べた感じでは、保険の掛け方に問題はなさそうだった。相見積もりが出ても、それほどビックリする差はないだろう。それでも、背に腹は代えられないと、100円でも安くするのだろうか。
 トークセッションをお願いしていた名古屋の書店にメールした。結局、機材を借りる目途が立たなかったので、中止することにした。
 気合が入らないので、GYAOで映画を観た。無料の映画の中から観る価値のあるものを探すのは容易なことではない。人間ドラマのようなのがあったので、それを観た。アメリカ映画で、やはり文化の違いを感じた。
 月末の講演スライドの見直しを少しだけした。

4月5日(日)「外も内も秋景色・・・の風さん」
 疲労をとるために敢えて寝坊してみた。
 外は霧雨状態で、花見を楽しみにしていた人には気の毒だ。
 昨年は退社直後に京都の花見に出かけた。入社以来花見は焦りの象徴だった。つまり、作家として独立する夢を果たせないまま巡ってくる1年の節目をいやでも感じさせてくれたからだ。それが、34年ぶりくらいに、京都ではのんびりとした花見ができた。第二の人生への穏やかなスタートを切ることができた。
 あれから1年。怒涛の1年だったような気がする。
 そして、2年目は、全然穏やかなスタートではない。
 外を眺めると、まるで秋になったような感じだ。まさに自分自身の心象風景と重なっている。
 夕方のティータイムの時に、昨夜洗面所にあるヘアードライヤーが壊れた、とワイフが教えてくれた。年代物なので寿命だろう。
 ネットでいくつか調べて比較し、ワイフの了解を得た製品を注文した。明後日の午後に届く予定だ。もっと早く注文していたら明日届いたろう。
 今日は、1冊何としても読み切って、そこからの学びをセミナ―スライドや執筆に生かそうと決めていたが、寝坊からスタートしたことが災いして、あと一歩及ばずだった。

4月6日(月)「今日も冴えない1日・・・の風さん」
 今日も8時間の睡眠時間を確保したので、起きた時、既にワイフも次女も出かけた後だった。
 先ず、予定通りに2本の電話をかけた。
 昨夜読了できたなかった本の残りはわずかだったので、その続きを始めればすぐに終わるものを、まるで手をつける意欲が湧かなかった。
 超多忙だと忘れていられるが、少しでも余裕があるとくよくよ考えてしまう、子供の頃の性格が顔を出してくるようだ。大げさな言い方をすれば鬱だろう。
 午後、次女からメールがあって、MacbookProを買ったという。それからすぐ電車に乗ったらしいが、またケータイのメールに気が付かず、駅まで迎えに行けなかった。次女が買ってきたMacbookProは赤い色でなかなかお洒落だった。
 簡単に家の無線LANにつながったが、その後すぐ電波状態の悪くなり、つながらなくなった。スマホもつながらない。来月くらいに光に変更すると同時に速度もアップさせる。はっきり分かるほどの効果があると良いのだが。
 夕方になってもまだ気力が出てこないので、またGYAOで映画を観た。今度は若い時の小林旭の映画だ。舞台は私の小学校入学前後の時代だ。それでも小林旭は実にカッコいい。そして、当時が無性に懐かしい。すごい年月が流れたのだ。
 映画を観終わってから、急いで昨日の本を読了した。
 遅く帰宅したワイフは、1週間前の検査結果を聞いて来たのだが、問題なかったそうだ。安心した。

4月7日(火)「雑務を着々・・・の風さん」
 ゴミ出しの日だが、ワイフに任せてしっかり睡眠時間を確保。
 明後日から新年度の非常勤講義が始まるので、前期分の講義内容の再点検と1、2回目の講義資料をざっと用意した。テキストが決まっていても、すべてを講義するのは無理がある。そこでチョイスしながらやるわけだが、毎回新しい項目にもチャレンジしている。前期ではMRPを新たに1コマ導入することにした。
 書斎のすぐ外にカラーボックスがあって中が雑然としている。昨日少し手をつけたので、今日、残りを一気にやった。不要なものをいくらか処分できたので、目的を達成した。こういった作業は、できるだけ毎日やらなければならない。
 一昨日注文したヘアードライヤーが指定時刻に届いた。壊れたドライヤーはおもちゃみたいな代物だったが、購入した物は熱量、風量ともに十分な性能があり、我が家の文化レベルが少し上昇した。
 ネットで依頼した火災保険の見積もりがメールで届いた。丁寧に見積もってあり、ワイフと二人、かなり勉強になった。あと1件、郵送で送られてくるので、それも見た上で今後の方針を決めるつもりだ。

4月8日(水)「昼間は雑務、夜は飲み会・・・の風さん」
 未明に強烈な寒気に襲われた。確かに多少は冷え込んでいた。しかし、電気敷毛布をONにした中で、ぬくぬくと寝ていたはずなのに、これはおかしい。最近は年に数回起きている異常だが、それは冬期間のことで、これからはもうないはずだった。
 起床して、ネットで調べてみた。すると、ある、ある。どうやら悪寒戦慄というらしい。特定の病気の症状というより、これだけ、といったことが多い。原因は、自律神経失調症、ホルモンのバランスの狂い、更年期障害、ストレス、運動不足などで、驚くべきことに女性に多いようだ。あ〜あ。
 最近注力している片付けだが、毎日1枚ずつ読んでいた昨年の愛知淑徳大学のキャリアデザインでおこなった講演の感想文だが、先月末に読み終わったので、代表的な20枚を選抜してPDFにして保存した。
 続いて、月末に埼玉県でおこなう講演で販売する本をそろえた。キャメロンで行くので、たくさん持参できる。半分くらいはサインをこれからやらねばならないが、新たに購入せずに準備できたのはよかった。
 夕方から電車で名古屋に出かけた。デンソーの先輩を囲む会があり、私にも声がかかったのだ。現役とOBが集まって、非常に盛り上がった。店も綺麗な場所で、パーテーションで囲まれて他から邪魔されずに騒ぐことができた。OBになっても会社ネタ以外も含めて共通の話題で盛り上がれるのは、やはり同じ文化で育ち、価値観を共有しているからだろう。楽しい飲み会である。

4月9日(木)「新年度の非常勤講義がスタート・・・の風さん」
 午前中、たまっている紙のゴミを紐でしばって整理した。1年以上そのままにしてあったので、何となく仕事をした気分になった。
 今日から新年度の非常勤講義が始まるので出かけた。
 昨夜の飲み会のお蔭で多少鬱から脱出でき、とにかく家を出ることができた。
 行きの電車の中でも頑張って文庫本を読んだ。
 受講の受け付けは来週が締め切りなので、油断はできないが、今日の講義にはたくさんの学生が出席してくれた。講義のやり方を説明しながら、少し講義もやったが、1コマ終わったところで、留学生から質問があった。
 「数学は難しいですか?」「Excelも難しいですか?」
 難しいと答えると受講してくれなくなりそうだったので、「易しいよ」と答えたが、あとで思い直して「でも、日本語は難しいからしっかり勉強してね」と言っておいた。
 帰りにケーキ屋に寄って、家に着いたらすぐコーヒーを淹れようと気合が入ったが、家はもぬけの殻だった。
 生命保険会社から見積もりと契約変更申込書が届いていた。実は、連日、保険関係の書類が届いている。見直しをするためだ。
 クイズの応募も含めて、たくさんの郵便物を作った。余っている年賀状や半端の切手を組み合わせた。
 今日読了した文庫で今年通算14冊になる。月平均4冊のペースを守りたい。

4月10日(金)「ICTの勉強・・・の風さん」
 3月末までに完了させられなかったことが、またできないまま早くも10日になってしまった。
 新たな案件として、保険の見直しに着手しているが、今日も、自分の入っているがん保険のサポートセンターに電話して、検討アイテムについて相談してみた。すぐに答えが出てくるところはさすがで、後から資料を送ってもらうようにお願いもした。
 今日はビジネス関係の勉強を集中的にやった。私の専門は生産技術だが、経営的な視点での考察が独自分野となる。今日は、ICTをからめた最新情報について、会社の元同僚から教えてもらったWebsiteを中心に読み込んだ。
 ありがたかったのは、動画が貼り付けてあることで、しっかりダウンロードもできた。セミナーでも利用したい。ICTとモノづくりの融合は、近年加速している。近々展示会の見学もできそうなので、そこでちゃんと質問できるように、知識を増やしておくつもりだ。

4月11日(土)「政府資料の勉強・・・の風さん」
 今日も睡眠十分で起床。つまり、寝坊。しかし、体がだるい。
 6月のセミナーのために政府の資料をチェックし、必要なものはダウンロードした。アベノミクスにつながる重要なデータだった。今後数年乃至10年程度で、アベノミクスの効果が分かるだろう。
 こんなことをしているだけで疲れる。昼食後、少し仮眠したら、復活した。
 今日は気になっているメールをいくつか発信した。前向きのものもあるが、後ろ向きのものもある。
 月末の講演会のときに買ってもらいたい本にサインをした。半分くらい売れるといいな。
 ネット環境をようやく光に変更しようとしている。ステップが複雑で、特典がいくつか得られるので、確実にもらうため、パンフレット類の再チェックをした。恐らく工事は来月だと思う。

4月12日(日)「勉強三昧・・・の風さん」
 今日も睡眠十分で起床。つまり、寝坊。……な〜んだ、昨日と同じ書き出しだ。
 退社2年目に突入し、急に公式スケジュールが激減した。収入の道が閉ざされた感じ。……ま、それはともかく、勉強のスタイルがほぼ確定してきた。活躍を目指すジャンルが3つ(人文科学、自然科学、社会科学)決まり、そのために常に精進すべき基礎勉強の習慣が次第に固まってきたということ。当面の基礎勉強は、@江戸時代の考証力(大学時代に時代小説家になると決めてから猛烈に勉強してきたことだが、ここにきて、再勉強となる)、A経済学的視点からの現代社会理解(グローバル社会は経済力で戦争状態にあるという仮説をもっていて、その検証をすることだ)、B英語(37歳でいったん休止した英語を社会人学生となった54歳から復活した。モノづくり経営学だけでなく和算の世界発信のためにも必要である)。
 そのような中、以前頂戴したり購入したりした時代小説を引っ張り出して読んでいる。
 今年15冊目読了になったのは、楠木誠一郎さんの『あやかし裁き』(コスミック・時代文庫)である。隠居した同心が、共に隠居した岡っ引きと一緒に、次々に起こるオカルトまがいの殺人事件を、その裏にある人間の心の闇と一緒に暴いていく物語だ。主人公の御隠居同心以外は、幽霊や妖怪に対しては臆病者ぞろいで、そのコミカルさが面白い。高齢化社会の中で、こういった高年者が活躍する小説は受ける気がするのだが。

4月13日(月)「掌編小説の準備開始・・・の風さん」
 曜日に関係ない生活を送っている。
 今日もたっぷり睡眠をとって起床した。既に雨が降っていたが、天気予報通りなので特に驚かない。
 今月に入って継続している保険契約の見直し作業を今日もやった。火災保険・地震保険である。我が家は海に近くても幸い高台にあって近所には小川ひとつ沼ひとつないので、水災保証は元々入れていない。
 来月末が締め切りの掌編小説の準備を開始した。
 以前から構想は決まっていたので、資料の確認をしながら、どんなテーマにするのか考えることにした。
 少ないかと思っていた資料が、書斎の中からけっこう出てきたので、その点では安心できた。
 しかし、テーマまでは決められなかった。
 部屋の片付けや時代小説の再勉強は継続している。少しずつやるのが私には向いているようだ。

4月14日(火)「出版企画が一つ確定・・・の風さん」
 天気予報通り、朝から雨模様。相変わらず気分は低調。外出する気も起きない。
 それでもメールが来るので、世の中とつながっている。やがてテレビ電話が当たり前になれば、それも超高齢化社会には必需品となるだろう。
 昨年12月から打ち合わせを続けていた某社での出版企画が、正式に決まったというメールが届いた。
 会社経験というかビジネスの勉強の成果の一つとして、最初の著書になる。時期は今秋である。
 出版社のコンセプトに忠実に従って執筆するのだが、良い経験ができそうだ。それを踏み台にして、次へとジャンプしたい。内容については、この日記でも次第に明らかにしていくことになるだろう。
 今日は、来週の分を含めて、非常勤講義の準備に集中した。
 昨夜、今年通算16冊目の読了があったので、新しい本も開き始めているが、時代小説を書く感覚を取り戻すことにウェイトがかかっている。

4月15日(水)「オープン・イノベーション・・・の風さん」
 今日の予報降水確率は50%だったが、恐らく降ることはないだろうとタカをくくっていた。科学的根拠はなく、単なる勘だった。
 ベッドから起き上がってカーテンを開けると、我が家の物干し台(車庫の上)が見える。しっかり洗濯物が干してあり、納得した。
 ところが、午前中、書斎で仕事をしているときに、突然驟雨(しゅうう)があった。ワイフが庭のログキャビンから飛び出して行ったろう。
 その後、雨はすぐに上がって、やがて青空も見えてきた。
 ところが、午後になって、また突然あたりが暗くなり、音を立てて雨が降ってきた。私が階下へ降りて、庭へ出るためサンルームに着いたときは、既にワイフが物干しから洗濯物を取り込んで入ってきたところだった。
 役立たずと言われたようなバツの悪さで書斎へ引っ込んで、ネットで雨雲レーダーの様子をチェックすると、昨年広島を襲ったような細いけれども色の濃い雨雲の帯が、知多半島を横断しようとしていた。つまり、名古屋あたりは晴れていたと思う。
 ますます気分が落ち込んできた。
 ところが今日は、東京の某出版社の元編集者から電話があり、相談して作っている児童文学の企画が、売れそうだという知らせだった。来月の企画会議にかけてもらうため、先日作成した企画をもっと魅力的な内容にしてほしいということだった。
 当然、承知した。
 完全に雨が上がった外へ出て、郵便ポストをのぞくと、新刊が届いていた。
 開封したら、一橋大学の米倉誠一郎先生の本で『オープン・イノベーションのマネジメント』(有斐閣 2400円税別)だった。グローバル時代、優れた技術は囲い込みをするよりも、オープン化して仲間作りやデファクトを推し進めた方が、最終的に大きなメリットが得られることが多い。最近の報道では、トヨタ自動車が燃料電池の自社特許の多くを公開し、某家電メーカーが、ユビキタス時代に開発したIoT関連技術を公開した。スピードの時代でもある。タイミングよく本を出すことが重要である。
 明日にでもお礼状を出そうと思った。

4月16日(木)「雑多ことでも先にやる・・・の風さん」
 4月も半分終わり、今年の花粉症のピークは完全に去った。毎年苦しむ花粉症だが、マスクを最大の対抗手段にして、薬の服用は極力おさえた。来年もこの手で行こう。
 米倉先生へのお礼のハガキを書いてから、キャメロンで出発した。
 今日は前期2回目の講義がある。
 先週と同じように、途中から電車だが、最近iCloudでスケジュールの同期ができない(ので、同じパターンの乗り換え)。今のところ原因不明。
 キャンパスに着いて、受講者名簿を渡されてビックリ。先週のお試し受講者が全員(あるいはそれ以上かも)名前を連ねているではないか。今日は、デンソーのパンフレットを持ってきたが、ギリギリしかない。
 ま、とにかく、大勢の受講生を前にして、先週に引き続いて、講義をしながらガイダンスをした。
 過半数が留学生なので、ときどき学生に質問をしてみると、やはり講義は難しいらしい。彼らにとって日本語が最大のネックなのだ。
 それでも、講義終了後、テキスト購入希望者がたくさんいたので、テキストが役に立つ授業にアレンジしていこうと思った。
 帰りにドラッグストアに寄って、不足している品物を買った。今日はシニアの割引デーだと朝刊に出ていたからだ。
 疲れて帰宅したが、受講生が多かったことは、疲れを吹き飛ばしてくれる。
 夜は、また細々と仕事に取り組んだ。やることがたくさんあって、どれから手をつけたらいいか迷う。しかし本音は、面倒なことをやりたくないだけ。重要なことほど、実は面倒だ。組織でマネジメントをしていると、この優先順位をつけることが大事な仕事になる。説明して納得させて、部下が実行する。しかし、一人だけで仕事をしていると、優先順位をつけても実行するのが自分なので、いやな仕事はついつい後回しになる。
 そこで、優先順位は承知の上で、やれるところから手をつけている。最大の障害を前にして足踏みしていると、その先にある多くの障害もそのままになってしまうからだ。

4月17日(金)「ボケボケ・・・の風さん」
 最近ボケの話題を書いていない。決してボケが治ったわけではなく、ボケに注意を払っているだけの余裕がなくなっているだけだ。
 今日は面白いボケがあったので、書かないわけにはいかない。
 会社員時代から技術者として大きな展示会は好きである。東京ビッグサイトにはどれだけ足を運んだことか。地元にもポートメッセなごやがある。年明け早々イベント会社からメールで、4月に製造技術展がポートメッセなごやで開催されると連絡があった。今まで開催されたことのない時期だったので、申し込んだところ、すぐ受付完了と招待券発送の連絡があった。当然予定表にも記入した。
 楽しみに待っていたが、招待券がなかなか届かないうちに、どんどん開催時期が迫ってきた。4月19〜21日である。19日と20日は予定が入ってしまったので、行くなら21日だな、と思っていた。
 しかし、招待券が届かないのがどうにも変だった。
 そこで、過去のメールの送受信記録をチェックしたみたら、な、なんと、来年の話だった!
 招待状が届くのは10ヶ月先になる。それまでに重度の認知症にならなければいいが。
 今日は少し早起きして午前中に床屋へ行った。午後、購入して残っていた最後の灯油を屋外タンクに入れて、ポンプとポリタンク類をすべてしまった。続けて、2階の片付けも少しした(この少しという点が重要。だんだん習慣化してきた)。
 さらに雑務を続けているうちに、ふと検討中の短編小説について、ひらめくものがあった。これを待っていたのだ。夕方から、そのひらめきを現実化させるため、中断していた短編小説の構想検討を再開した。

4月18日(土)「保険とケースと史実のトレース・・・の風さん」
 朝から判で押したような行動を続けた。とにかくやれそうなことを先にやって、厄介なことは1日の残った時間で取り組むのだ。やれそうな仕事を処理した慣性力で突っ走っている感じだ。
 途中で、今月になって力を入れている保険関連で、某保険会社のサポートセンターに電話した。送ってもらった見積もり書に関係する質問をいくつかしたが、非常に役に立つアドバイスをもらうことができた。
 インターネット上には保険の代理店がいくつも存在しているが、そういったところは、複数の保険会社の保険を扱っている。見積もり依頼をすると、それらの結果を比較しながら判断できるが、その中に気に入ったものがあれば、その代理店のビジネスになるわけだから、保険会社の専門の代理店よりも有利である。
 特定の保険会社でも、実店舗の代理店よりサポートセンターに電話した方が、質問に対して広い対応をしてくれる。実店舗の代理店のビジネスには何やら制約があるらしいことも分かってきた。
 昨夜もらったメールを今日開いたのだが、2年前に名商大ビジネススクールを卒業するときに作成したケースが、実際に授業で使用されるという連絡があった。ケースアワードの対象にもなったもので、力作ではある。しかし、それ以上に、自分自身の経験をかなり正確に書いた、思い入れのある内容なので、これが授業で使われるということは、何らかの価値ある題材だということだろう。自分の会社人生の一部分が評価されたような気もする。
 夕方、今日は母の月命日の翌日、父の月命日ということもあり、ワイフと墓参に出かけた。
 既に午後6時を回っていたが、墓地はまだ明るい。とはいえ、他に今頃墓参にくる酔狂な人の姿はない。
 帰宅してからは、昨日の続きで、短編小説の構想検討の続きをやった。史実を再確認する作業だが、午前1時半まで継続したが、完了できなかった。ひらめきの具体化にはまだ時間がかかる。

4月19日(日)「長い総会にへとへと・・・の風さん」
 日曜も祝日も関係ない生活を送っているが、休日に予定される行事というものはある。町内会の行事である。
 今日は新年度の区会総会があった。組長なので、全体を把握するため、出席しなければならないが、長時間にわたる会議になることが予想され、気が重い。
 午前中にやれるだけの雑務をやって、昼食抜きで家を出た。
 来賓に町長や町議会議員まで呼んでいて、最初から落胆した。数十年後には消滅する恐れのある地域が、こんなに大げさな総会をやっていること自体、状況認識に欠けていると言わざるを得ない。当地域の高齢化率の報告もあったが、今後加速されることは明らかだ。そうなったときのことを前提にした、運営が望まれる。基本はスリム化だ。
 我が家の保険の見直しをしているが、老夫婦だけの世帯へ向かっている中、長期的なビジョン(拡大成長)を前提にした保険契約などあり得ない。必要最小限に抑えていくのである。
 結局、2時間もかかったので、疲れてしまい、懇親会には参加せず帰宅した。
 夕方からまた短編小説の構想検討の続きをやったが、午前1時半までやっても終わらなかった。

4月20日(月)「出版が近い共著・・・の風さん」
 天気予報通りに朝から雨が降っていた。
 午前中にかかりつけの病院へ行った。薬が昨日でなくなったからだが、今日は余裕で、10年近い前の経験から判断して、やはり体調とストレスの因果関係が次第にハッキリしてきた。おそらく薬は不要なのだ。ま、焦らず脱薬へ向けて進めて行こう。
 午後、JAへ行って保険の相談をしてきた。また、ずいぶんと勉強になった。夢中で働いているときは、詳細に検討する余裕がなく、今頃になって最適化に取り組んでいるわけだが、人生の発展段階と終息段階では、当然保険の考え方が違う。発展段階は結果として何事もなかったから、それでよかったのだ。しかし、終息段階ではギヤチェンジが必要である。そういう見直しをこれからも続けて行こう。
 そろそろ公開してもいいだろう。角倉研究会で出す本の再校ゲラが届いた。来月出版を目指しているという。つまり最終の著者校正である。ありがたいことに共著者の末席に加えていただけた。タイトルは『角倉一族とその時代』で、思文閣出版から出る。名誉なことだ。
 私の担当分は短いけれどもきちんとした内容にしたので、和算の海外発信の題材の一つにしたい。
 夜になっても風雨が強かった。

4月21日(火)「急げ、急げ・・・の風さん」
 来週は講演のために遠出するので、いよいよ焦りが出てきた。講演の準備ではない。それはほぼできている。今月末までに終えようとしていることがはかばかしくないからだ。
 これから毎日、何らかの区切りをつけよう。
 今日は朝から先ず再校ゲラの校正に着手した。急に飛び込んできた仕事だが、1週間以内に返却を求められている。内容からいって、来週の講演とも重なるので、ちょうどよい。
 昼食後に郵送の準備を含めて完了した。そして、夕方、ワイフを駅まで迎えに行ったついでに投函した。
 ビジネス本の準備がしばらく手つかずだったので、昨日から再開していた。参考書(翻訳本)の勉強である。
 全部で4章ある本だが、第3章を読んでエッセンスを把握した。できれば、明日で、この本を卒業したい。
 一方、6月に、会社の同期会を計画している。現役時代から好きで幹事をやっているのだが、昨年後半に日程が決まっていた。しかし、さすがに、最も早く会社を卒業(定年退社のこと)してしまった者は、連絡などで不利である。今回は、社内に二人の協力者を得て、進めている。お蔭で順調だ。

4月22日(水)「地方創成と地方選挙・・・の風さん」
 任期満了にともなう地元の町長と議員の選挙活動が始まっている。自宅で仕事をしている私は、26日の投票日まで毎日宣伝カーの音声を聞くことになる。
 消滅の恐れが高い自治体なので、我が家はそれを前提に今後の人生設計を検討している。
 かつての町長は、地元の活性化を必死に探ったのだと思う。しかし、剛腕すぎて反発を買った。現在の町長は消滅へ向けてゆるやかに歩んでいるだけで、抵抗はしていないように見える。地方の消滅は日本の大きな流れで、これを食い止めることは容易なことではない。国を挙げてやることだが、世界の中の日本のステータスを守ろうとすると、地方が犠牲になってしまうようだ。天下国家を語ることは非常に難しい。
 一昨年、還暦を祝う中学の同窓会に出席するため、秋田へ出かけ、40年ぶりに懐かしい友人らと会った。その中に、何と、私が居住する知多半島の某市で市会議員をやっている同窓生がいた。
 そのときは、選挙があったら、せめて事務所に行って激励だけでもしようと思った。
 今回、その市の議員選挙はない。調べてみたら、1年前の3月30日に終わっていた。
 1年前の3月、私はいよいよデンソーを卒業するという時で、多くのタイムリミットを抱え、多忙をきわめていた。だから、そこで任期満了にともなう市会議員選挙がおこなわれていることさえ、気付かなかったようだ。
 幸い、同窓生は、2位で楽々当選を果たしていた。
 今日は、午前中に明日の非常勤講義の準備をし、午後からは、児童文学と短編小説のストーリーの検討、それぞれの続きをやった。どちらも急がねばならない作業だった。
 夜、月初から始めた保険の見直し作業の、全体確認をワイフとして、大きな方向付けをした。

4月23日(木)「非常勤講義の3回目・・・の風さん」
 昨日は色々なことがあったが、その中の一つに、応募したプレゼントが当選して品物が届くということがあった。
 応募は余った年賀葉書などを利用してときどきやっていて、1年に一つくらいは当選する。ただし、ほとんど地元である。昨日のプレゼントも地元。今回の賞品は、香りの出る大きな蝋燭3本セットだった。
 今日は本山キャンパスでの講義なので、午前中にひと仕事し、昼食は抜きで出発した。
 電車と地下鉄を乗り継いでキャンパスに着き、直前に配布資料をコピーするなど、事前に用意した手順通りに仕事は進んだ。
 しかし、いったん講義が始まると、その後はガタガタだった。第3回目の今日は、Excelの初歩を講義したのだが、どうも学生の表情が冴えないので、理解していないだろうと、目いっぱい時間をかけて解説したので、予定の半分も進まなかった。それで、少し気分が落ち込んだ。
 往復の電車の車中では、資料読みができた。
 夜はビジネス書の参考資料の続きを読んで読了した。

4月24日(金)「気分は低調・・・の風さん」
 最近夜型の生活にシフトしてしまっている。睡眠時間はちゃんと確保しているが、起きてからエンジンがかかるのが遅い。夕方になってやっと調子が出たりする。今日は、夕方になっても不調で、久しぶりに頭痛も起きていた。それで、止むを得ず、頭痛薬を飲んでみた。
 次女が今日は早い時刻に帰宅すると連絡があったので、駅まで迎えに行くと連絡した。到着時刻まで少し時間があったので、頭痛も治ってようやく出てきた調子に乗って仕事をしているうちに、迎えに行く時刻が過ぎてしまった。
 駅に着いたよ、というメールで慌ててキャメロンで飛んで行ったが、待ちきれなかった次女は、既に駅を出発していた。
 今日は天気も好く、シルバーさんが庭の木々の剪定に来てくれたが、退社してもそういったことに時間が回せない自分が情けなくなってきた1日だった。どうも最近うつ症状も出てきたな。

4月25日(土)「一転して調子が出てきた・・・の風さん」
 珍しく起床した時疲労がとれている感じがした。
 体が軽く感じられたので、朝食後、2階だけでなく、1階の食卓周辺も片付けた。
 来週のためにキャメロンに満タン給油することも考えていたが、この調子で執筆などを進めることにした。
 昨日の続きで、参考書籍を読みながらビジネス本の設計図を埋めていった。前途は多難だが、いくらか進んだ。
 不足していた名刺の追加印刷もした。
 夕方から、6月のセミナーのテキスト作成の続きをした。これも昨日に続いてである。いくらか進んだ。
 今日は短編小説と児童文学の仕事ができなかった。児童文学は企画書の完成度を上げる作業だが、月曜日の朝までに送る約束なので、明日中に仕上げなければならない。明日の最優先テーマだ。

4月26日(日)「児童文学の企画書が完成・・・の風さん」
 うちの組が町内会の集会所の掃除当番なので、9時に現地へ着いた。組長が指揮をとって進行してください、と言われたが、そう言われても自由にはできませんよ、と役員の助言を受けながら、私は先ず男子トイレに直行した。
 自分の書斎のようにゴチャゴチャしていると掃除する気にならないが、あまり物がない空間は、たとえトイレでも掃除する意欲がわいてくる。便器含めて雑巾でしっかりきれいにした。
 うちの組の人たちが非常に頑張ってくれたので、30分で掃除は終わり、その後、意見交換会になった。
 私は、消滅の可能性があるこの自治体を前提に残りの人生設計をしている話をした。組員からは、最近近所であった新車の窓割り事件の話があった。これは知らなかった。こんな田舎で・・・、と思った。
 帰宅してから、児童文学の企画書作成に全力を投入した。
 夕方、まだ明るいうちに、ワイフと投票に行った。今日も雲一つない青空だ。選挙は、二人で話し合っても、誰に投票すべきか、非常に悩んだので、お互い、自己責任で投票することにした。
 帰宅してから、児童文学の企画書の続きをやり、何とか完成させることができたので、電子メールに添付して送付した。
 夕食後は、6月のセミナーの配布用テキストの作成の続きをやった。あと、もう少し、というところまで到達した。

4月27日(月)「6月のセミナーのテキストが完成・・・の風さん」
 明日から出かけるので、なるべくたくさん仕事の決着をつけておきたい。
 朝食後すぐ、テキスト作成の続きを開始した。全体構成がだいたい頭に入っているので、用意したスライドの中からテキストにふさわしいものを抜き取り、整理のつかないスライドは、最後の方に付録(参考資料)として集めた。午後1時半に電子メール添付で送付することができた。
 昼食後、次女を駅まで送るついでに、キャメロンに満タン給油してきた。ここ1ヶ月ほどで500kmをこえる走行距離だったが、燃費は12キロほどだった。
 帰宅したら、届いた郵便物の中にクレジットカード会社からの請求書があったので、早速開いてみた。
 1ヶ月以上前に使った請求で、ショックのため落ち込んだ。
 これで、一気に仕事のペースが落ちて、短編小説のストーリー作りがはかどらなかった。
 こうなったら、ストレスのかからない仕事(雑務ですね)を、淡々とこなすしかなかった。

4月28日(火)「今年度最初で最後?・・・の風さん」
 久しぶりのキャメロンでのロングドライブだ。
 昨夜でほとんど準備が終わっていたので、いつもとほぼ同じペースで洗面から朝食へと進み、最後は、今回の旅行の主目的である講演の最終準備確認までやって、ゆっくりと出発した。
 午前11時・・・…。確かにゆっくりだが、これが私のペース(笑)。
 岡崎ICの手前で事故渋滞があった。ワゴン車が中央分離帯に乗り上げていた。連休突入の前日であり、ドライバーは仕事を片付けようと急いでいたのだろうか。
 12時半にハイウェイオアシス浜松に着いた。昨年来何度も何度も寄っているので、常連客だな。今日はうなぎエクレアではなく、特選シューで昼食代わりにした。LINEに「これがランチ」と写真をアップしたら長女から「デザートでしょ?」とツッコミがあった。
 外でゆっくり食べて休憩して出発した。
 今日は青空はまったく見えない。しかし、これが運転には幸いした。窓を全開にしてかなりの速度で走って、体感温度的にはちょうどよかった。エアコンを使っていないので、パワーは問題なく、スーパーカーの走りで楽しいことこの上ない。
 新富士のあたりを走っているときも、富士山の裾野すら見えない天気だった。
 15時ころ中井PAに着いてコーヒータイム。まもなく出発し、圏央道へ。なぜかナビの指示で途中下車(一般道に降りた)。中小企業大学校に行くときのコースと同じだ。記憶がエラーを生んだのか。
 好都合なので、いつものガソリンスタンドでセルフ給油した。3000円の定額で入れたら満タンになった。どうも燃費は14キロ以上あったらしい。ルーレットでリッターあたり1円のキャッシュバックがあった。以前も当ったな。当選確率が高い。
 途中から中小企業大学校コースを外れ、再び圏央道に(ずっと圏央道を走っていてもよかったのだ)。17時過ぎに狭山PAでトイレ休憩した。目的地まで、あと40キロだった。
 関越道を走って熊谷市に入った。ナビの地図表示があいまいで、目的地のホテルを通り過ぎてしまった。ぐるっと回って、それでも19時よりだいぶ以前に到着できたので、満足。
 ドライブは楽しかったが、新年度、最初で最後の講演旅行かもしれないと思うと、気分は憂うつだった。
 明日に備え、ホテルの近所のレストランで、ちゃんと夕食を摂った。

4月29日(水)「持参した本が完売!・・・の風さん」
 目覚ましで7時起床。もっと寝ていたかったが、朝食のタイムリミットが9時と早い。こんなホテルは珍しい。ビジネス客が主だからだろうか。
 朝食は定番のバイキングだった。明日もここで食べるので、今日は洋食中心に選んだ。
 外国人が泊まっている。数人のグループが2組いた。
 食後、コーヒーを飲みながら日経新聞を読んだ。どうも和算小説家らしくないな。
 部屋で、時代考証の本を少し読んだ。
 退社しても生産技術やビジネスの仕事も継続している。会社の仕事ではないが、内容はかなりかぶる。結局、これが私の人生なのかもしれない。元気な間は、大学から会社へ続いて来た延長線上にある仕事を並行して続けよう。そして、やはり会社時代と同様に、文学と和算の世界にどっぷりと浸るのだ。そうすることで、自分の精神状態は安定するに違いない。
 午前中、キャメロンで深谷市へ行った。入社してまだ数年しか経っていない頃、東芝のテレビの組み立て工場を見学に来た。セル生産が登場する前だったから、コンベアラインだった。フォード方式である。そして、それから年月が経過して、日本のテレビ生産・販売は世界のトップから陥落し、国内にテレビの生産工場はたぶんない。
 深谷市へ行ったのは、そういった思い出にふけるためではなく、今日の講演を企画してくれた藤田雄山貞資先生顕彰会に敬意を表し、和算家藤田雄山の生家跡と顕彰碑を事前に見学するためだった。
 生家跡は本田中央坂下公民館に隣接しているので、そこに目的地を設定して出発した。
 昨日とうって変わって青空である。戻ってホテルで着替える気はなかったので、既にスーツ姿だった。だから、少々暑い。エアコンが必要だった。
 生家跡は朽ちかけた、しかし往時は立派だったと思われる長屋門が残っているだけだった。門前に石碑があり、保存に寄付した人たちの名前が刻んである。多くの和算研究者の中にまじって鳴海風の名前もあって嬉しかった。
 顕彰碑は、今日の講演会場である川本公民館の敷地内にある。近くだった。非常に大きな石碑で、郷土の偉人として尊敬されていることを感じた。
 いったんホテルに帰ってキャメロンを預け、今度は秩父鉄道で出直した。
 講演は午後3時からで、持参した本を並べてもらったら、講演を開始する前に完売してしまい、もっと持ってくれば良かったのに、と言われた。
 本が売れるか売れないか、なかなか予想が立たない。あるいは、予想が下手だ。でも、とにかくありがたかった。
 今日は和算研究者を対象とする講演だったので、なるべく常識的な内容は省略しつつ、吉田光由の話をした。
 講演後の質問は、非常に意味のあるものが多く、講演をした甲斐があったと思った。
 その後、場所を移して懇親会になった。
 祭日ということで、わざわざ開店してくれた中華料理屋だった。
 ここでもたくさんの質問があり、講演では話しきれない色々な考え方を述べ、また皆さんのご意見や感想も聞くことができ、有意義だった。
 少しずつ生ビールを飲んだのだが、お開きになる頃までに3杯も飲んでしまった。
 会員の方たちと連れ立って、秩父鉄道で帰ったが、最後、ホテルの前までタクシーで送ってもらった。
 部屋に入ったら、首が痛くてたまらなかった。トレーニング不足もある。

4月30日(木)「17万キロ・・・の風さん」
 昨夜の首の痛みはロキソニンで抑えてさっさと寝たので、今朝も普通に起きることができた。
 閉店しないうちに朝食を摂りに行き、今日は和食で統一した(昨日と並んでいるメニューがほとんど同じだったので、作戦成功)。今日も昨日と違う外国人客がいた。食後、今朝もコーヒーを飲みながら日経新聞を読んだ。首相のアメリカでの演説の話題がトップだった。今後も技術力と文化をベースにした経済力発展に注力していけば、日本の存在価値は色褪せることはないと思う。
 部屋に戻って読書したり、メールチェックをしていたら、電話がかかってきた。フロントからで、出発の時刻(チェックアウト)を告げるものだった。11時だとばかり思っていたら、10時だった。朝食のタイムリミットも早かったが、こいつも早い。
 急いでフロントへ行き、ネットの閲覧の続きはロビーでやった。
 11時にホテルを出発し、昨日の講演会の幹事の勧めにしたがって、鉢形城公園に向かった。
 天然の要害に作った戦国時代の城跡で、私の専門外の時代ではあるが、ちょっと寄ってみることにした。
 歴史館に入って展示物だけでなく、お城の歴史を学んだ。確かに文化的価値の高い遺跡で、よく整備して残しているなあ、と感心した。そして、このお城の主要な歴史が終焉した直後に、昨日私が講演した吉田光由が誕生したことを知って、日本の東西での歴史の流れを感じた。
 急いでキャメロンで家路についた。
 関越自動車の花園ICからのったのだが、頭の中では圏央道を経て、今日は中央道を通って帰るつもりだった。
 ナビの指示するまま走っていたら、実は逆方向に走っていて(ボケ老人の逆走とは違うよ)、藤岡JCから上信越道に入った。世界遺産の富岡製紙工場跡がある富岡を通った。初めて走る高速道で、変な形の山が多く、風景が珍しかった。一昨日と同様、窓を全開にしてエアコンはつけず、しかしゆっくりと走った。ガソリンがもつかもたないか微妙なところだったので、省エネ運転にも挑戦することにした。
 更科JCから長野自動車道に入った。昨年講演やドライブでやってきた松本のあたりを通って、岡谷JCからやっと中央道になった。
 名古屋に入ったころに、キャメロンの積算距離計が17万キロに到達した。あと3万キロ、大事に乗って、20万キロを突破したい。
 我が家まで10キロのところにあるGSにたどり着いて、自動洗車した後、セルフで満タン給油した。
 3日間で900キロ超走った(昨年のドイツは、正味5日間で1107キロだった)。給油は2回だったが、燃費はリッター15キロだった。エアコンを入れてパワフルな走り方をすると13キロまで落ちてしまうが、こういうものなのだろう。

2015年5月はここ

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